ホンネ哲学~天命とゆるしの美しさ~

「生きる」ということを、「ことば」にしてみる。

いつだって不謹慎でいたいから。

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おそらく「不謹慎」な方が生きやすいんだろう。

 

命を軽んじてみる。

「どうでもいいもの」だと思ってみる。

「そこまで価値はない」と考えてみる。

 

そしたら意外に、愉しく生きられるのかもしれない。

 

もちろん「一人の命は地球より重い」なんて考え方もあるんだろう。

 

しかし論理的に考えてそんなことあるものか。

 

地球には、たくさんの人間が住んでいるんだからね。

 

そう、たぶん「いのち」は思ったより軽くて。

 

だからカンタンに死んじゃうんだよね。

 

ちょっとした谷から落ちたら。

自動車に轢かれたら。

電車にぶつかったら。

 

ウチの親父も、脳の血管が切れて3日で死んでしまった。

 

それはあっけない幕切れで。

 

病に伏して、何十年もかけて亡くなる人もいるだろう。

 

でも一瞬で亡くなってしまう人もいる。

 

それを「深刻」に捉えたら、生きるのが難しくなる気がする。

 

それよりかは、「いのち」を軽んじてみたほうが、よっぽど愉しく生きられると思うのは、ぼくだけなんだろうか?

 

それは不謹慎な考え方なんだろうか?

 

いのちなど、ただのドラマにすぎない。

 

いのちなど、映画でありゲームである。

 

いのちは、「あそび」であり、「趣味」の一種である。

 

そんな角度から、考えてみる。

 

天命は、たしかにあると思う。

 

けれどもそれは、きっと思ったよりも軽くて。

 

「あそび尽くすための設定」

 

なんだと認識したほうが、合点がいきやすい。

 

この世はあまりにも理不尽だ。

 

愛情たっぷりの家庭に生まれる人がいて、愛情のない家に生まれる人がいる。

 

お金持ちの家に生まれる人と、お金のない家に生まれる人がいる。

 

褒められやすい容姿で生まれる人、いじめられやすい容姿で生まれる人がいる。

 

プロスポーツ選手になれる肉体の人がいれば、障害を持って生まれる人もいる。

 

この不条理を、あなたはどう解釈するだろうか?

 

前世のカルマ?

量子論などの「思い込み?」

自己原因説?

引き寄せ?

生まれてくる前に決めてきた?

 

いろんな人が言いたい放題に言うね。

 

けれども、答えなど分からない。

 

こればかりは、「じぶんで決める」種類の問いなんだろう。

 

そのなかで、ぼくとしては

 

「理由は分からない。ま、それでもいいんじゃない?」

 

なぜなら「どうせ、いのちなど、他愛もないものだから」。

 

たとえば人間は「おっぱいが大きいとか小さいとか」で悩む。

 

足が短いとか、鼻が低いとかで悩む。

 

けれどもそれが「蟻(あり)」の問題だったらどうだろうか?

 

アリに人間のことばが話せたとして、「私の脚が短くて悩んでるんです」って相談してきたら、まともに取り合うだろうか?

 

「いいから働け」

 

なんて、あなたは返答するんじゃないだろうか?

 

アリの脚の長さの違いなど、数ミリか数ミクロンだろう。

 

しかしぼくらは、地球から見てその程度の差でしかないことで、よく悩んでいる。

 

容姿じゃなくても、収入なんかでも悩む。

 

年収300万と3000万だったら、やっぱり3000万の方が偉そうにしている。

 

けれども、それって実は「大した違いじゃない」んだ。

 

イチローだって、総理大臣だって、ウォルトディズニーだって、スティージョブズだって、ナポレオンもピカソも、どこまでいっても「不完全な人間」だ。

 

ただ、歴史に名前が残っているだけ。

 

それはそれですごい。だから「偉人」なんていうんだろう。

 

でもだからなんなんだ。

 

歴史に名を刻んだからと言って、なんなんだ。

 

それは人から見たら「すごい」けれども、天から見たら大したことじゃないんだと思う。

 

歴史に名を残していない偉人など、星の数ほどいるだろう。

 

歴史に名を残した「最悪な人」もいる。

 

歴史に名を残していない「最悪な人」もいるだろう。

 

 

 

人間には無限の可能性がある。

 

けれども同時に、努力や可能性の探求なんてしようとしまいと、おそらく大した差はなくて。

 

それは、天から見たときに、身長1メートルと2メートルの違いがほとんど分からないのと同じだ。

 

その意味で、ぼくらがどれほど何かを命がけでおこなったとしても、それは

 

「天の視点」

 

から見たら「あそび」に過ぎないんだろう。

 

で、大事なのはここからで。

 

「あそび」「趣味」に過ぎないから、適当に、本気を出さずに死ぬのか。

 

「あそび」「趣味」だからこそ、本気で真剣に向き合うのか。

 

かのタモリさんは、ゴルフか何かの遊びのときに、

 

「仕事じゃねえんだぞ。真剣にやれ!」

 

と怒り、逆に「笑っていいとも」には

 

「やる気のあるやつは出さない」

 

と公言していたらしい。

 

そう、「遊び」「趣味」だからこそ、本気でやり切る、真剣に取り組むっていう価値観があるのよね。

 

そしたらそこには「軽やかな重み」が出る。

 

この「軽やかな重み」っていうのが、たぶんキーワードになってくるんだよね。

 

深刻な「おもい」は、「思い込み」を拡大して、身動きが取れなくなる。

 

かといって、「軽さ」だけでは軽佻浮薄になり、滋味が出てこない。

 

だからここも「陰陽」になってくると思うけどね、

 

「軽やかな重み」

 

というフレーズをここに残しておきたい。

 

そして「マジメに不謹慎」をやり、真剣にふざけたい。

 

このバランスの妙を、味わっていきたいね。

 

 

 

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