【人間の成長と進化】「褒める」という「麻薬」
最近とみに
「褒める」
ということの弊害を感じている。
誰しも、褒められれば気持ちがいい。
嬉しい。
気分が上がる。
しかし、その反面、
「また褒められたくなってしまう」
という弊害がある。
そのループにハマると
「褒められたい」
という欲求が肥大してしまって、
「本当にやりたいこと」
が分からなくなる。
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「褒める」ということは、人に価値観を植え付けることだ。
「それは良い」
ということを示せば、逆に
「そうじゃないことはよくないこと、悪である」
ということも教えることになる。
すると、ほんらい自分が持っている価値観や欲求が分からなくなってしまうのだ。
だからこそ、子育てでも、人材育成でも、コーチングでも、
「褒める」
ということは、よーく考えて慎んで使う必要がある。
「褒める」ということは、まさに麻薬なのだ。
下手をすれば「中毒」になってしまう。
またうまく使えば「人を依存」させる事にも使えるだろう。
洗脳にも使えるかもしれない。
けれども、依存関係に陥った人々が幸せになることはない。
人の幸せは「自立」の中にしかない。
では「自立」とはなんなのか?
それは「じぶん自身の価値観に気づいていること」である。
「私は何が好きなのか」
「私は何を大切にしているのか」
「私は何を欲しているのか」
「私は何をしたいのか」
そういったことに明確に答えることができる。
それが「自立」であると考えている。
その答えが明確に分からない限り、
「納得のいく人生」も
「充実感のある人生」も
ありえないだろう。
逆に「回答」が明確であれば、依存関係に陥ったり、騙されたりすることが極端に減る。
すべては
「自らの価値観を知ること」
からはじまるのだ。
で、「褒める」ということは、その方向性とは逆になってしまうということだ。
褒められれば褒められるほど、人は自分の価値観を見失う。
自立とは「褒められること」に依存しなくなることだと言える。
「褒め」に対して、過剰に喜びもせず、受け取りを拒否することもなく、
「ああ、そうですか、ありがとうございます」
と答えることができる。
これが自立の一つの形だろうと思う。
かといって、「そのように演じ」ればいいというものではない。
心を空っぽにして、実際に
「そのようになっている」
というのが理想だと言えよう。
もちろん、ぼくにはまだまだ遠い話で、今日も人の毀誉褒貶に一喜一憂するのである。