コーチングは傲慢なのか?
コーチングの語源はハンガリー語のコチ(馬車)というところからきているらしい。
で、どこかに「導く」という響きを抱えている。
しかしセッションを重ねるなかで
「導く」
というのは、いかにも傲慢なのではないかと感じてきている。
いま俺が考えている範囲では
「共鳴を起こす」
というのが、いちばんシックリくる表現だ。
周波数を合わせる。
相手に集中しつづける。
そこで起こることを観察する。
こうなってくると、けっきょく「合気道」と「整体」と一緒なのよね。
やはりコミュニケーションには
「正解」
があるのかもしれない。
ある空手の先生が「発信をゼロにする」ということをおっしゃっていた。
これは「気配を消す」とも共通することではないかと思う。
コーチングにおいても、こちらが「無」になることによって、相手の自立をうながす。
指示を出せば、さらに依存する。
で、そういうことを考えていくと
「この人に共鳴したい!」
と思えるような人になることがコーチとしてのゴールなのかなと思ったりする。
自らの人間的成長がコーチとしての成長。
それが、クライアントさんの成果に直結する。
なかなか厳しい世界だね。